いつからこうなった。

わたしはいつからこんなふうにまじめにコツコツ やるようになったんだろう。仕事をがんばっています。

はじめは本当に大変で、覚悟はしていたものの、ここまでか、やりきれるか、と不安になったりもしました。ほとんどは、というか全ては、自分で自分を追い込んだり許さなかったりしたのが原因なんだけど。

いいとしをして「心細い、自信がない」などと言って泣いたことも1度だけあった。もうクタクタだったんだな…。

まだまだ緊張しながら、アレコレ工夫しつつ、疑いつつ、不安になりつつなんとかやってるけど、夜はちゃんと眠れるし、休みの日もだいぶ落ち着いていられるようになった。

夜は疲れきっていることもあって、1日がもったいないなぁと思ったりもするけど、のんびり暮らしていたときの、世の中から取り残されるような不安からは解放されたし、仕事に対して自信もついてきた。

慣れては新しいこと、慣れては新しいこと。

このとしで、チャレンジさせてもらえてうれしい。結果をだしたいので、がんばる。最善を尽くしたい。

それから、朝コーヒーをいれてくれて、夜どんなにくたくたでも受け止めてくれる夫に感謝している。支えになってくれてありがとう。ちからをくれてありがとう。

風の吹くまま

わたしにとってこれは、とても自由な選択なのだ。
そんな感覚で選んだ。意外だった。

2012年にMacBook Proを購入してから、本格的に(とはいってもユルく)フリーランスでやってきた。ありがたいことに仕事は続いていて、状況が厳しくなった時には偶然お取引先からお誘いがあり、フルタイムのアルバイトを2年半やった。父がホスピスに入ったとき、側についていたくて辞めてしまったけど、バイト最終日の前日に父は逝ってしまった。突然ヒマになってどうやってお金を稼ぐかな、なんてのんびり構えていたら、継続していただけるお仕事のお誘いがあって、個人事業主になった。お仕事をくださる方も、作ってくださる方もいて、忙しい時とヒマな時があって、気ままに楽しく過ごしていた。ときどきは「もうちょっと稼げたらな」なんて思ったけど。去年はパソコンも新調した。

そんな生活が続いていけばいいなと思っていたけど、問題が起きた。それは「インボイス制度」。もともと消費税を納める義務がなかったから、消費税は請求していなかった(つもりだった)。わたしはわりと安く仕事をしていたと思う。ここからややこしい事務仕事も増え、お世話になっているお客さんに値上げをし(いくらなんでも10%も値上げは無理)、収入から一割を納めるなんて本当に、働くのがバカバカしくなる。主な仕事は印刷物のデザインだったけど、これもいつまでもやっていられる仕事ではない。

そんなことに悩んでいた時に、ある方から「うちの会社で働きませんか」と、お声がけいただいた。まさに奇跡。こんな会社で働けたらいいよねー、なんて思っていた会社だった。興味のある分野で、仕事内容もステップアップになる。勉強できるいい機会だと思った。二日間でポートフォリオをつくり、脇汗びしょびしょでオンライン面接(実際は面談だった)を受けて、あれよあれよと会社員になった。まだ研修期間中。

この年齢から新しいことをはじめられる。そんなイマイチわかってないやつを採用してくれる。こんなありがたい機会はそうあるものではない。誘っていただいた時点で、これに乗るんだ!と、それしか考えられなかった。逃したくないと思った。アリスをみつけたときみたいに。

まだいっぱいいっぱいで、胃が痛い夜もあるけど、今のわたしにならできる気がする。今のわたしは大人になってからいちばん体調がいい(腰と肩と首はやばい)。自分の体質を理解して色々気をつけているのと、アレルギーの治療をしているからだと思う。そしてとても身軽。そうなったらなぜか、とても真面目になった。そしてコツコツやれるようになった。わたしはわたしのことをもっと好きになりたい。大切なひとたちのためにも。子供みたいなことを言っているけど。それを目標に、がんばります。

この頃の

猫のステファンは2月で5才をむかえた。年々甘えんぼうになっていてかわいくて仕方がない。夜ベッドに入ると「待ってました」とばかりに駆けつけて、ひらいた瞳孔ですりすり、モミモミしてくれる。なんとも言えない、いやしのひととき。爪を切ってあげるのを忘れていると、このモミモミタイムに傷だらけになって後悔する。

日をまたいで6月になったところだけど、5月1日でヴァイオリンをはじめて触ってから1年が経った。先生のおすすめで購入したスズキの教本の2巻に載っている、リュリのガヴォットを練習している。教本についているCDで聴いて、いちばんやりたいと思っていた曲。チャレンジできるのはずっと先だと思っていたけど、もうできてうれしい。何時間も掛かっていた譜読みも、思ったよりは成長していてうれしい。さらにきょうは先生が白いとうもろこしをくれて、うれしい。

会えない人のことを色々と考えることがある。ときどき思い返すひとは、わたしが電話をしたからといって、後悔する結果になるようなことはない。それなのにただなんとなく、わたしに時間をさかせることに気が引けて、連絡しない期間がついつい伸びてしまって、そうなるとなおさら、電話していいんだろうかという気になる。いいのはわかっているんだけどただ、そういう気になる。

きのうは久しぶりの友人に電話をしてみて、彼は疲れてたけど相変わらず愉快で、たくさん笑った。楽しかった。わけあって、すこしひとりで思い出をたどる時間を過したあと、10年連絡をとっていなかった幼なじみに電話をしてみたりした。元気そうでよかった。もし会えたらうれしい。

くじけた1行

わたしは活字が読めない。

縦書きは特に目で追えない。ちゃんと読みたくても視線が動き回ってしまう。余地があるだけに色々イメージしすぎて気が散ってしまう。

読み進めながら空間を描いても、突然庭木が現れてしまって、わたしが描いた庭にそれを植えるスペースがなかったら、なんだか覚めてしまう。

物語よりもそれを書いている作者が気になってしまったり。おじさんが魅力的な若い男を主人公に書いていて脈略もなく射精されると、作者キモいと思ってしまう。

本来、物語は好きなはずなんだけど。

漢字もけっこう読めるし、国語は得意だったし。

今はありがたい時代で、オーディオブックがある。本が読めないのはコンプレックスでもあったし、興味も意欲ももちろんあるので、わたしはオーディオブックに飛びついた。

いくつか好きな作品や面白い本、ためになる本に出会うと、本が読める本好きの人たちがますます羨ましくなった。

この頃、まさかの展開ではあるのだけど、西洋絵画にお熱。

長くなりそうだから詳しくは書かないが、少しずつ知るうちに、西洋絵画への興味は、学のない、教養のないわたしにとって、未知の世界(一般的な教養なのだろうけど、わたしにとっては)へのとっかかりになりそうな、大変良い機会のように思えてきた。

そしてやっぱりいくら知りたいと思っても、絵画についてのオーディオブックなんてないのだ。

と、いうわけでこの歳で今更ながら紙の本にチャレンジ。

自分でも引くほど時間がかかったが、見開きの上半分が漫画というユルい本を数週間かけて最後まで読むことができた。

もう意地だった。でも達成感があったし、自信もでてきた。

なので次に、すでに読んだ内容の一部をもっと掘り下げた本をチョイス。

今度は漫画はなかったけど、楽しみながら苦痛も感じず、時間はかかったものの、なんとか読み終えた。

ようし、ここから少しずつ学んでいこう。気長にちょっとずつ、なんとなくつながっていけばいいよね。

今読んでいるのは、ギリシャ神話の本。

古い美しい絵は、神話や聖書の場面が描かれているので、神話を知っていたらもっと楽しめると思ったのね、それは間違いないはずなんだけど。

なかなか厚い本を頑張って読んで、とりあえずとにかく、頭に入れなくてもいいから、どんなものかざっくりとわかればいいから、最後まで読むだけ読んでみよう。

神話の世界はそれなりに面白い。人間の本質みたいなものがよく出ている。現代人からしたら、なかなか狂ってる。

しかし登場人物が多い。

子供が3000人とか生まれるのやめて。

しかも名前が難しくてぜんぜん覚えられない!

そんなふうに苦しみながらももうすぐ本の真ん中くらいに差し掛かった。

きょう、わたしがくじけた1行を紹介する。

「彼はティタンのイペアトスとオケアニデスの一人であるクリュメネの長男でした」

誰だ(泣)

向こう側

どうにもならないことほど、考えすぎると向こう側に行けるときあるよね。突然「いけんじゃね?」と楽観的になることがある。
視界が晴れたのか逃避に成功したのかは謎。
考えすぎることにあまり意味がないのはほんとかも。

すげぇ変な一年、2020年

コロナウイルスの影響で、はじめはわたしの神経質さとか、心配性やなんかが悪く出て、勝手にけっこうツラい感じで過ごしていたけど、後半は引きこもりの特性が活かせる雰囲気だった。

何をどう考えればいいのか、どう思えばいいのかわからない。

いぬやまを失うという、いちばんおそれていたことも現実になって、ポカンとさみしくなってどうしようもないような気持ちになることが増えた。これはいぬやまがくれたものをおもえば、当然で、仕方のないことなので、乗り越えるしかない。

不安定な状況の中でも、お仕事をいただけていたことには本当に感謝してもしきれないなぁ。

わたわたして、順応もできず、うまく整理もつかないまま、年を越すよ。いつもありがとう。

時代と、世代

歳をとるにつれ、流行に疎くなるものだ。

わたしは元々ミーハーではないうえあまのじゃくで、人々の関心が集まるものほど興味を失うような若い時間を過ごしてた。それでもなんとなく時代の真ん中は「若者」で、流行は「若者」のモノだ。身近なので、ちゃんと流行を把握していた。

それからまた倍ほど生きて、なるほどなあと思う。中年世代は流行についていけないのではなく、流行などどうでもいいのだ。まるで関心がない。アンテナがたたまれた状態で、わからないということについても何も思わない。

放っておけないのは時代ごとに変化していく価値観や考え方だ。ここ数年でも「よくないこと」がみるみる増えていく。幸いまだそれが「なぜなのか」というのは理解できている。なにしろ人を傷つけたくないし、時代の真ん中が今も未来も活躍できる環境であることはとても重要だ。

しかし、わたしは誰しもが「現代の考え」を生きることは望んでいない。

今現在の最新の価値観は真ん中にあるべきものだが、偉いわけでも正解なわけでもない。せいぜい現時点で正解に近いというだけのことだ。

必要なのはそれぞれの世代が生きた時代を考慮し、共感はできなくとも理解をすることだと思う。それは年配の者から若者に向けての一方通行ではなくて、若い人も年寄りの生きた時代や信じたものを考慮して、やさしくあるべきだ。

「遅れている」だの「ついてこれない」だの。それは本当にピンポイントな視点からの感覚で、その時は解らなくもても、のちにハッとしてほしいところだな。

言ってしまえばわたしは「違う時代を生きたのだからわかり合えなくて当然なのに、何を求めているの?」という冷たいことを考えている。わかってほしい、その気持ちは可愛らしい。でも叶わなかったとき、それは誰のせいでもない。

知らない

じぶんのことを、誰かに知って欲しいとか理解してほしいとか、そういう気持ちがなくなってから、わたしのこころはとても自由になった気がする。

自分を知る必要がなくなったからだろう。

じっと自分自身と向き合っていると、持っているものを数えてしまう。それでたたかおうとしてしまう。よくわからずにいればそのほうがずっと柔軟に、自然に立ち回れる。(とは言ってもわたしはとても不自然な人間なんだけど)

その柔軟さのおかげで、人の持っていないものが気にならなくなる。自分の持っていないものに気づきやすくなる。

わたしはまだ知らない。わたしはまだわかってない。

ずっとそれを知っていたい。

失うもの消えゆくとき

前回書いた日記を見ると、新型コロナウイルスに怯えて過ごす生活が1か月以上も続いてた。とにかくなるべく家で過ごして、夫の免疫力があがるように、衛生を保てるように、すこしピリピリしながら暮らしてる。

きょうは朝から、志村けんの訃報。

子供の頃からテレビで観てた。ギャグもたくさん流行って、小学校でも散々やった。ガチャガチャでだいじょぶだぁのタイコも買ったし、家族でもふざけてマネしたし、高校生になってもアイーンをしてプリクラを撮った。

人工心肺をつないだことを知ったとき、すごく心配になって、新型コロナウイルスが「拡大中」ということに、現実味がわいた。もしものことがあったら嫌だと思ったし、こころのどこかでは復活を信じていた。そうでないイメージはわかなかった。

「同じように続いていく」と、どこかで思い込んでいることが、裏切られ続ける。当たり前でないことに気付いて、また夫とくっついて寝ることにした。

感染症にかかってしまえば、どんなに重症でも、重症なほど、大切な人に会えない。身内に看取られることも、からだにお別れを言ってもらうこともできない。肺炎になり声で言葉を発することが難しくなれば、いつでも伝えられたはずだったことも、伝えられない。

2017年と2018年に、祖父と父が続けて亡くなった。

祖父は床屋の帰り、玄関まで帰ってきて転倒してしまって、入院した。良くなって退院する日を待ってたけど叶わなかった。

入院中、ずっと側について、話し込んだ日があった。耳が遠いはずなのに、わたしの声がちゃんと聞こえてて、ずっと聞きたかったことを聞いたり、とにかく祖父とお話をするのが本当に楽しくて、おじいちゃん子だったわたしは、そのまま一緒にベッドに入って寝たいくらいだった。最後のような気がしてしまって、離れたくなくて、暗くなるまでずっと居た。祖父にとっては、どんな日だっただろう。

がんばってくれていたけど、脳梗塞をおこして集中治療室に入った。元気な素振りを見せてくれて、ちゃんと冗談も通じて、でも言葉がでなくなって、右手も動かなくて筆談もできなかった。

父は肺癌を患って、緩和ケア病棟に入っていた。それでもわたしはまだまだ残された時間はあると思っていた。これから父と過ごそうと、仕事を辞めることにして、最後の出勤日の通勤中、危篤の連絡がきた。

痛みとからだのつらさで、父はいつも混乱気味で、とっくに会話らしい会話ができることはほとんどなくなっていた。話がしたくてしたくて、何度も思い出したから、最後に交わした冗談はよくおぼえてる。下ネタだったけど。緩和ケア病棟に移れてからは麻薬で痛みを抑えてもらって、ずっと酸素を吸っていた。少し言葉はでるけど、朦朧としてた。

会社に連絡を入れて、病院に向かった。駆けつけたら父はわたしに気付いて、右手をあげた。苦しそうに何かを言おうとしてた。看護師さんはその様子にびっくりしてた。そんな余力があるとさえ思ってなかったみたいだった。

手を握って、言葉を聞こうとしたけど、わからなかった。でも「ありがとう」だと確信してた。わかりようもないし、自然にそう感じたんだから、信じたい。

一晩を乗り越えてくれて、翌日昼過ぎに、一度動物の世話に帰った夫が病室に戻って、わたしが「ゆっくりトイレに行ってくる」と部屋を出てすこししたら、容態が急変して亡くなった。夫が戻るのを待っていたのかなと思った。わたしがひとりで看取ることがないように、一晩頑張ってくれたのかなと思った。わたしが部屋を出たら緊張が途切れたのかな、夫はいつも父に理解を示してくれて、父は信頼して、安心して甘えていたから、そのときを選べたのだとしたら、選んだんだろうと感じた。

そんな経験もあり、年齢もあるのか、訃報をきいたとき、失った悲しみはもちろん感じるんだけど、それ以上にあたまを支配するのは、そのとき何を考えてたんだろうということ。どんな気持ちでそのときを迎えたのか。こわくなかったか、くやしくなかったか。心配してなかったか、後悔してないか。そういう思いが駆け巡る。

これが、けっこう堪える。ひとつひとつの訃報が、わたしのそのときにむけた歩みのようにのしかかる。そのできごとに向き合う節目を差し出してくる。

世界は、人生は、同じようには続いていかないらしい。あったはずのものはなくなるし、手に入るはずだったものは消えていく。もしもなにかを失ったとして、元に戻すことばかり考えるのも違うのかもしれない。本質はそういうものなのかもしれない。

もともと意味なんて持ってないと感じる。それは自由ってことでもある。すきなことを好きと言って、したいことをして、愛するものを愛して、ちゃんと伝えて、好きなきょうを過ごす。

心配ごと

心配ごとはあとをたたない。

この頃、いぬが夜中や早朝に起きてしまう。トイレ以外で用を足してしまう。薬を飲まない。

お水を飲んだらタテに抱いてゲップをさせてあげないと、水が逆流して鼻の構造に入り込んで溺れる。

咳をしだすと、なんとかしてとめてあげないと長引く。吠えると咳が出やすくなるから、リクエストにはこたえたいけど、何を望んでいるのかわからなかったり。

とにかく、眠っているとき以外は目が離せなくて、夜中や明け方に一通りのことに付き合うので、わたしもまた眠るのが簡単じゃなくて。

でも、いぬの安心しきった寝顔や、イビキとか、抱っこしたときのあたまの匂い嗅いだりしてると、一緒に歳をとってくれてることを、ほんとうに嬉しく思う。なんでもしてあげるよって思う。からだを預けてくれたときには、ピリピリしてしまう自分を許そうって気になる。

お世話を焼けるのって、幸せなんだろう。父をなくしたときも、そう感じた。

巷にはコロナウイルスが蔓延していて、東京都の検査数は問い合わせに対してかなり少なく、あちこちで感染源を追えない事例も増えてきた。

イタリアではすごい勢いで拡大して、重症化しやすいのか、致死率も高そうで。そのイタリアから、制限がかかる直前に、駆け込みでたくさんの人が帰ってきたそうで。

もし、イタリアに独自の変異を遂げたウイルスが蔓延していたとしたら、中には無自覚にそれを持ち帰るひともいるのかもしれない。渡航中にコロナウイルスについて、情報を集めてくれていればいいが、活動的な感染者がふつうの生活を始めてしまえばどうなるかな、とか。

最近ではいぬにも感染するとかいう話もでている。わたしは何がなんでも、この老犬のもとにウイルスを持ち帰りたくないって思う。

保育士さんの感染もみられる。症状がでないばっかりに、子供が媒介している可能性もある。そういうケースがあり得るのなら、夫の仕事はかなり危険なものと言える。ほんとうに心配で仕方がない。寝ていれば治るというのならいいけれど、一度かかってしまったら、完全に元どおりに治るものとも限らないという雰囲気がある。

とにかく、心配ごとだらけで、ついには何をしても楽しくないし、無気力。外にも出たくないし、したいことも何もない。夫は慣れない状況にかなりストレスをためていて、めったにないくらい不安定で。わたしも今は大した仕事は入ってきてないけど、この状況に仕事と疲労が重なれば詰む気がする。

今日はイライラしづらく、わりと精神状態は安定している。つまらない話だけど、振動マシンを足元に置いたのがいいのだと思う。血流は大事。鬱々としたら脚を動かせ、というのは、身をもって学んだこと。

あしたも、いぬを愛でて、夫を労わる。こころをきちんと座らせて、守ろう。