時代と、世代

歳をとるにつれ、流行に疎くなるものだ。

わたしは元々ミーハーではないうえあまのじゃくで、人々の関心が集まるものほど興味を失うような若い時間を過ごしてた。それでもなんとなく時代の真ん中は「若者」で、流行は「若者」のモノだ。身近なので、ちゃんと流行を把握していた。

それからまた倍ほど生きて、なるほどなあと思う。中年世代は流行についていけないのではなく、流行などどうでもいいのだ。まるで関心がない。アンテナがたたまれた状態で、わからないということについても何も思わない。

放っておけないのは時代ごとに変化していく価値観や考え方だ。ここ数年でも「よくないこと」がみるみる増えていく。幸いまだそれが「なぜなのか」というのは理解できている。なにしろ人を傷つけたくないし、時代の真ん中が今も未来も活躍できる環境であることはとても重要だ。

しかし、わたしは誰しもが「現代の考え」を生きることは望んでいない。

今現在の最新の価値観は真ん中にあるべきものだが、偉いわけでも正解なわけでもない。せいぜい現時点で正解に近いというだけのことだ。

必要なのはそれぞれの世代が生きた時代を考慮し、共感はできなくとも理解をすることだと思う。それは年配の者から若者に向けての一方通行ではなくて、若い人も年寄りの生きた時代や信じたものを考慮して、やさしくあるべきだ。

「遅れている」だの「ついてこれない」だの。それは本当にピンポイントな視点からの感覚で、その時は解らなくもても、のちにハッとしてほしいところだな。

言ってしまえばわたしは「違う時代を生きたのだからわかり合えなくて当然なのに、何を求めているの?」という冷たいことを考えている。わかってほしい、その気持ちは可愛らしい。でも叶わなかったとき、それは誰のせいでもない。