おもうきもち

今日、やっと開業届を書いた。今年から、個人事業主になることにした。

結婚して13年間、新しい苗字も書き慣れた。だいぶサラッと、カッコよく書けるようになった。

父のことを思い出す。父が生きていたときは、何年も、毎週のように父の暮らす施設や、入院している病院を訪れ、面会表に父の名前を書いた。書き慣れた旧姓。父が亡くなってから、ちっとも書かなくなった。

コロナウイルスのことでも、ふと、父からメールが届いたような気がするときがある。

元気にしていますか、コロナウイルスが流行しているようです、親父は元気にしています、人混みは避けて不要不急の外出は控え、マスク、うがい手洗いをして下さい

そして、そのあとに

のど飴をよろしくお願いします

そしてわたしはズッコケながらも、のど飴を入手して、洗濯物を担いで、父に会いに行く。あぁ、会いたいなぁ。心配されたい。変なことを言っているけど。とにかく、時折無性に、父の不在をさみしく思う。

洗面台で手洗いをするときの、ハンドソープのポンプは、父が最後に入った施設の近くのコンビニで、わたしが買ったもの。前の施設には備え付けられていたけど、新しい施設にはせっけんがなくて、メールで買ってくるように言われた。

部屋の洗面台に置いて帰って、その後、父が油性ペンで名前を書いたらしく。片手しか使えない上、ずっと抱えてきた痛みがピークに達していた。やっと書いたって感じの字で、胸がぎゅっとなった。名前を書いておかなくちゃいけないのは、当たり前なのに、どうして書いてあげることを思いつかなかったのかな。ごめんなさいって思った。

それが洗面台に置いてあれば、見るたびに何か思うけど、わたしはたぶん、美化もせずただふつうに、父を毎日、思い出したいのだと思う。

がんばってくれたことも、わたしもがんばったことも、そして、まったく至らなかったことも。なによりも、「これを使いたい」って思うくらい、どんな形であれ、思い出であれ、大切に思えるくらい父を大好きだってことを。

心配しているだろうから、わたしにメールを送れないこと、悲しく思わないように。パパおやじ、だいじょうぶよ。ちゃんと、気をつけるよ。

犬も食わない

目もあまり見えないし、耳もきこえない老犬が、ふんふんと不満げにため息をついてる、ここ数日。犬も食わない夫婦不仲の不穏な空気を感じているんだな。

このかすがい犬は、いったいいくつの喧嘩を見守り、いくつの仲直りを与えてきたんだろう。そう思うと、さっきまで自分の不運を嘆くような気持ちになっていたのがバカみたいに思えてくる。この犬に出会えたことは何事にも変えられないわたしの幸運だし。その犬がわたしの側にいて、年をとっていってくれているのに、どのように時間を過ごさせたいのか、ちゃんと大切に考えないと。こんなふうに夜な夜な泣かしてちゃいけない。

友達とのもめごとだって、夫に思いをぶちまけるのだって、ちっとも好きじゃない。こころを救って欲しい相手がそっぽをむいた瞬間が、いつもわたしが爆発する瞬間で、それって原因は「期待」にあって。

ひとに期待をするのはよくないことだから、あらためないといけない。

でも、わたしは望まれたい。あきらめないで、望まれたい。望まれないでいることが悲しい。

期待することと望むこと、その違いはどこにあるんだろう、みんなは知っているんだろうか。

ときおりやってくる衝動

こんばんは。
ホームページの更新も滞っているなか、
ツイッターでたれ流すのもはばかられるようなことを
書けるところがあるといいなと思って。
ここへやってきました。

気楽でしぜんなこと、考えすぎずに、
タラっと書いていけたらと思います。

コラムはホームページに書いています。
趣味のポエムは別のブログに書いてます。
どちらも誰もみていないのに、また増やします。

見てしまった人にはありがとうございます。
好きに書いていくつもりだけど、
掘り出し物と思ってくれる人が現れたら夢みたい。